赤ちゃんと対面すること
亡くなった赤ちゃんに対面するか、というのは最初は夫婦ともに受け入れ難いというか、そもそも赤ちゃんの形で出てくるのかもわからず怖さが先にきてしまい、断りたい気持ちでした。
担当医師には、ご主人来てますか、ちゃんと夫婦で対面して下さいねと何回も確認され、断りもできずどうしようと戸惑っていました。
赤ちゃんが出てきたとき、助産師さんに
「綺麗に出てきてくれましたよー。赤ちゃん見てみますか」
と言われました。
私はできることなら断りたいと思っていたのに分娩の緊張と怖さと痛さで断る気力も出ず、はい、と返事するので精一杯でした。
恐る恐る見てみたら、目を閉じて体育座りみたいな格好をしているとても可愛い赤ちゃんでした。
想像していたようなグロさみたいなものはなく、たしかに肌の色は赤黒かったけれど、すやすや寝ているような表情で丸くなっている様子は妊婦のアプリでよく見るような胎児のイラストみたいでした。
「え、すごい」
何と言っていいかわからずただそれしか言葉が出てきませんでした。
分娩後の処置をしなければならず、私はすぐに抗生剤と麻酔を点滴されたので赤ちゃんとはその後病室に戻ってから再び対面しました。
助産師さんが小さな籠に入った赤ちゃんを病室に運んでくれました。綺麗に洗ってくれて、丸まっていた体はピンと伸びて仰向けに寝ている姿になっていました。
対面は無理だと言っていた夫もその籠の中の赤ちゃんに見入っていました。
「なんか不思議だな。可愛い」
ふとそう言って、私と同じ感想でした。
赤ちゃんは10センチくらいでとても小さいのに、手足も目も耳も鼻も口もあって人間でした。小さな指に爪もできていて、見れば見るほど驚きと感動がありました。
股間らしきところが明らかに膨らんでいて、助産師さんと「もしかすると男の子かな〜」と話したりしました。
しばらくは親子3人で過ごし、私たちその赤ちゃんを見てただただ不思議な感覚に包まれていました。
他人が見るとグロいかもしれないのに見れば見るほど可愛くて、自分の子どもが無条件に可愛いっていうのはこういうことかなぁと思いました。
バースプランを何も考えなかったことを後悔しましたし、臍の緒も貰えば良かったなと思いました。
前回の流産のときはただただ虚しいだけでしたが、今回はずっとふわふわした不思議な気持ちでいました。それは辛いとか悲しいとか嬉しいとかほっとしたとか、ネガティブもポジティブもごちゃ混ぜの感情だったからなのかもしれません。
そして、無理矢理手術しなくて良かったと思いました。当初は分娩でなく手術にできたらいいのにと思っていました。確かに分娩という形で赤ちゃんを出してあげることは痛いうえに悲しみも増すのかもしれないのですが、私にとっては赤ちゃんと対面できることで自分の中のいろんな思いが昇華できたような気がしました。
そして夫にも最初で最後に親としての気持ちを経験させてあげられたように思います。
このことを経験して、中期中絶の壮絶さを想像しました。もしもそうなっていたらどういう気持ちになったのだろうと、考えても今はもう想像できません。赤ちゃんが先に亡くなってしまったからこその、今現在の気持ちです。